2015年02月24日

【H27.2月】全ては絶対的な「一」しかない

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こんにちは。二月の体験記です。以下、心象学講座で特に印象に残った部分の抜粋です。


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調和というのは、絶対「一」の世界です。

例えば、この部屋が汚かったとして、掃除機をかけたとします。掃除機をかけることで部屋は綺麗になったと思いますが、そのゴミは掃除機の中に入っただけで消えたわけではありません。AさんがBさんを殺したとします。Bさんという現象は消えても、Bさんの無念の思いは消えません。AさんがBさんを攻撃したとします。Aさんが勝ったと思っても、そもそも勝つという現象自体ありません。

これらは、全てが絶対「一」だからです。そもそも調和しかないのです。

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この日、講義を聞くために家を出て、自転車を漕いで道場へ向かっている最中、自分自身の感情や言動は、何を基準に湧いてきたり発したりしているのだろうかと、何となく考えていました。
講義の一部抜粋した部分を受けて、帰り道また考えて、結果として、自分は「優越感を感じたい」という感情を基準に、言葉を発し、行動し、生きているのではないかと感じました。

ロレックスの時計が欲しいなぁ、ポルシェに乗りたいなぁ、世田谷区の一等地に百坪の豪邸を建てたいなぁ…

誰でも小さい欲望から大きい野望まで持っていると思います。これを自己満足のためだけに達成できれば良いのでしょうが、そもそも自己を満足させるものは何かと考えると、私の場合は、他者との比較による優越感になってしまうようです。
そこに氣づくと同時に、優越感は他者との比較により生じるもので、相対的であるから、そういう一定の(=他者との比較を前提とした)条件下でしか成立しないものを求めて生きるのは馬鹿らしいなとも感じました。全ては、絶対「一」だからです。

それでも、「自分は自分だ!」と思い切るのは難しいなと感じているところです。優越感を感じたいという思いのエネルギーを良い方向へ転換し、注ぐことができるように取り組んでいきます。



(みらい)
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2015年02月17日

【H27.1月】相手に関心を持つ

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今回は「教わる」から「学ぶ」へというテーマでした。

私は自分自身を振り返ってみて、教わっているだけの部分が大きかったと強く感じました。今の時点で、何かを新しく生み出せるだけの自信や、その責任を背負う肚がないように思うからです。それは、横田先生に師事していながらも、教えて頂いたことを全身全霊で実行していなかった(=学んでいなかった)からだと思います。

また、学ぶ上で大切だと強調されていたあらゆる関係性の中での切磋琢磨も、自分次第で求めていくこともできればシャットアウトしてしまうこともできると思います。
私の場合は後者が多いような気がします。
いつも思うのは、私はあらゆる関係性において、例えば人間関係でも、自分から進んで良くして行こうと動いていないなということです。
相手が自分に興味が無ければそれはそれでよし、相手が自分に五だけ興味を示せばこちらも相手に五だけ興味を持つ、その相手の五が三になってしまってもこちらの五を三に減らすだけ…という感覚が、常に私の中にあります。
逆に、好きなものは好きという部分はあるかもしれませんが、根本は自発性や積極性、協調性の欠如であるから、一見関係なさそうな場面にも影響があって、後からこれだったのかと思ったこともあります。
ここに発展性や広がりはなく、和を以てなすという学びの根底にある一番大切な部分が、私の一番苦手とする部分であると感じます。
私がもっと深く人と関わり合い、繋がっていく努力をすれば、この先素晴らしくなっていくのだろうかと思います。

人の批判や非難の話もありましたが、自分が発するもの、受け取っているものを全てエネルギーのレベルで観た時に、本当にシンプルに反射の法則を感じます。
現状では己に寄るというより、横田先生に師事している自分という形に安心しているだけで、その形が無くなれば、殆ど残るものがないというか、流れていたものが固まるようなイメージがあります。

とにかく自己分析をしていても仕方が無いので、今年は一人で黙々と取り組む時間よりも、和を以て皆さんと過ごす時間を大切にしたいと思います。
あとは、私に関わって下さっている方々や身の回りで生じた現象に無関心、無感動で過ごしてきたことを反省しながら、その瞬間瞬間にエネルギーを注いで、今日も疲れたと毎日ぐっすり眠れるように日々を過ごしていきたいです。

皆さん今年もどうぞ宜しくお願い致します。


(みらい)













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【H27.2月】礼が調和につながる

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皆さん、こんにちは!

今月の講義では、神道、神さま、言霊など、日本にまつわるお話をして頂きました。

スピリチュアルの世界では、これからは日本が中心になっていく、ということは知られていますし、関連の書籍もたくさん出版されています。そのような話を聞くと、よく分からないけど日本に生まれてラッキーと思ってしまいます。
では、日本人個人として何が、どの様なところが、日本人の精神性が何をもたらすのか、と問われると、うまく答えられません。
当たり前のように日本語を使い、神棚を祀り、挨拶の時はお辞儀をします。

もちろん民族に優劣はありませんし、私も外国は大好きです。外国のマナーやレディファーストなど、とても素敵でスマートな文化です。
あれだけのマナーが徹底されているのは、様々な民族、宗教、言語、習慣の異なる人々が、一つの国で争いなく生活するために共通のルールを作った結果です。

そういう意味でも、混じり気のない日本は、やはり特殊な国だと思います。
言語や宗教などの擦り合わせをする必要がありませんから、行間を読んだり、裏側を気遣う文化や意識が発達しているのではないでしょうか。

とはいえ、最近は「礼儀」を重んじることが少なくなり、必要とされる機会も減ってきました。
礼儀がそこそこでも、話す内容の説得力や実績、カリスマ性が有無を言わせるところが大きいようです。

講義の中で、「礼(儀)」は「霊」に働きかけるものであり、対立をゼロにするものである、とお話しされました。
ワークショップの中でも、お辞儀をして丹田に力を集め、相手の力を一旦ゼロにするというメソッドがあります。
このように、日本の文化や何気ない習慣の中には、常に調和に向かうような所作が組み込まれています。

メンバーの方が、ご自身の仕事内容を世間に広げていく際のお話をして下さいました。
その方は、その場で最初からその仕事の核の話をしたら、その話は流れていたと思う、と話されていました。

対立を生まないまでも、なんとなく不毛な感触は、私も多々経験します。そんな時は、まず自分ありきで考えたり行動しています。
スキルを磨き、技術をアピールすることも大切ですが、まずは自分側を知って欲しいという気持ちが、知らず知らずのうちに「我(ガ)」を大きくさせていきます。

いいものを持っているのに、それ以上の広がりができない、ということは「我」が邪魔をしていることが多く、調和から外れているのではないかと思います。

日常生活の中でも、相手を思いやる一言や礼儀ひとつで、その場が一気に調和に向かうことはしばしばあります。
些細な礼儀が実は大きな力に連鎖し、大きな流れを作っていくこともあるのではないでしょうか。

古来から受け継がれる礼儀や言葉に宿る力が、日本人の精神性の高さとなり、「日本が世界の中心になる」と言われる一つの要因ではないかと思います。

(かおる)







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