2017年07月15日

急速に増えている新会員からの刺激

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 皆様こんにちは〜!
 今年は暑い!今年の夏はスーパー猛暑だそうですよ。五月で三十度越えですから、想像出来ますよね(泣)
 今年もはや半年が経とうとしております。昨年から今年にかけて不思議の会のメンバーが急激に増え、その新しい息吹に後押しされ、昔からのメンバーも刺激を受けておられる事と思います。私自身も横田先生の御縁で皆様にお会いして、口では表せない、オーラの交流と言いますか、色々な刺激を受けております。
 しかし、そこで改めて感じたのは「本物への追求」への強い思いでした。
 最近の横田先生のお話も龍神さんや目に見えないお話が多くなりましたが、僕自身はハッキリ言いまして毎回よくわかってはおりません。話について行けていないというのが実際でして、必死に聞いてはおりますが、聞き流している状態です。とりあえず「毎回、場を共有させて頂いている」そんな所だと思います。
 ただ、横田先生の不思議なお話を伺ってから、自分自身で体感していく努力はしているつもりです。実際に自分で体感して理解できたものは言葉や肉体でも表現出来ますから、ここでやっとそういう事だったのかと理解が深まる訳です。
 最近は新しい方々が多いため懇親会の場でよくこういう事を聞かれます。
「横田先生のとこで学ばれて長いのですか?」と。
すかさず僕は
「確かに長いですね。十七年位になります。」と応えると、
「お〜、凄いですね〜!よほど横田先生と御縁があるのですね!」と大体言われます。
「もちろん長いですが、人間関係に期間が長い短いはあまり関係ないと思いますよ。大事なのは関係が濃いか、深いかだと思います」とお応えしています。
 横田先生にお世話になってから十七年が経とうとしております。確かによくここまで見捨てられずに、また僕自身もよく付いていけたな〜というのが実際の所です。これまで不思議の会に至るまでも色んな人の出入りがありましたし、内容が理解出来ずに早々と諦めた方も多かったように思います。
 確かにいつも先々進まれる先生を常に理解することは大変難しく、というか私には無理で、今と変わらず常にわからないというのが現状だったように思います。
 そんな私がなぜここにいるのか?と頭で考えるとわからなくなります。
 私の場合は、横田先生のお話の内容や今の状況に対して自分自身で意味を見い出だそうと必死でした。でなければ単純に今まで付いてこれなかっただろうと思います。
「これにはどういう意味があるのだろうか、今すぐにはわからないけど何かきっと意味があるはずだ」と。
 インスタントな答えを出しても先生に常に否定されていましたから、深く、そして濃く考えるようになり、自然とそういう思考の癖になっていったのだと思います。
 本来必要な情報はインスタントではなく、「深さと濃さ」があります。つまり情報の密度が高い。表面的にわかっているつもりが、一番罪かもしれませんね。
 先日の講習会で「鞍馬山の尊天とは、宇宙意識と同じ」と横田先生のお話がありました。
 以前より私はいつも朝のお勤めで「全ては尊天にてまします」と唱えています。
 実はこれ、鞍馬山で置いてある「鞍馬山尊天幸福への祈り」の中の最後の文です。
 なぜこれを毎日唱えているのか。
 「宇宙意識に繋がるには、わからなくても、それにただ意識を向けていくだけで実は繋がっているのだ」という事が最近改めて理解できたからです。つまり、「わからなくても真言を唱えればいい」「わからなくても、その場にいればいい」のです。
 「人、物、場を大切にする、これで今後の展開が変わる」と、先生もいつも話されています。
 今理解できなくてもいい。わからなくても、この先いつか理解出来るまで意識を向け続ける事が大切なんですね。
 また、いつも横田先生を見ていて思うのは、「不確定性を受け入れること」を徹底している事です。不確定性を受け入れるには深〜い腹が必要です。一筋縄ではいきません。
 だからよく分からなくても、顕在意識が働いた余計な損得に惑わされず「一〇〇パーセント上手くいっていると感じられる感性、肚」を養う日々を送る事。それには普段から、「より良い人、物、場を大切にする事」。これに尽きるのでしょうね。
 そんなこんなで、私の不思議な話は「横田先生の側でいつの間にか十七年も師事出来ている事」でした(笑)

(30代男性)
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2017年07月08日

沖縄旅行こぼれ話

皆さん、こんにちは。
 今回は五月の不思議の会で皆さんの前で沖縄旅行のお話をさせて頂きました、その際に起こったこぼれ話になります。
 旅行三日目の、色々と不思議なことがあって大石林山を登り終えた後に下山する時のことです。
 風邪を引いていた影響で耳がおかしくて平衡感覚が少しおかしかったのに加え、車の運転と歩きどおしで自分でもふらふらしていると感じながら下山していました。不調は分かっていましたので、一応ハブにも警戒しつつゆっくりと注意深く足を運んでいました。
 順調に降りて行ったのですが、ほとんど九割方戻ってきてもうすぐという所で怪我をしてしまいます。進行方向に腰くらいの岩が横に突き出ているような形であったのです。下はしっかり見ながら降りていたのに、なんとその岩に左膝が当たってしまったのです。
 注意していたのにも関わらず全く視界に入らず、まるで脳が認識していないかのように氣付きませんでした。急に痛みが走ったため思わず右によろけていました。膝の皿の横を打ったようで、少し休むことになりました。ほんの少し血がでていましたが、休めば足も動くようになり問題なく帰路につくことが出来ました。
 後で思い返してみると、岩に当たる瞬間に足が横に動いた感覚が残っていました。それこそ身体が勝手に動くようにです。「あれ?勝手に足が動いた」と思った瞬間に痛みを感じて、岩が目に入ってきたという順番です。このあたりはハッキリと覚えています。この回避がなければ、もしかしたら膝の皿が割れていたかもしれません。
 この時にはなぜか「うわー、守られてるな」と思いました。不思議とうまくいかなかったとか失敗したとかそういう気持ちはありませんでした。登るのにも苦労しましたが、この怪我も禊になったのでしょうか。文字通り身が削れました(笑)打ち身は左足でしたので運転にも支障はなく、大石林山をおおいに味わった感覚のまま、以降も気持ち過ごすことが出来ました。
 沖縄旅行でのトラブルといえばこれくらいで、他には全く問題なく順調な旅でありました。またこの怪我も大難を小難にしていただいたように感じます。非常に有り難いなと感謝しています。注意深く行動したにも関わらず怪我をして、身を躱すのは無意識でおこなってと、本当にただ感謝しかないんだなということを体験した沖縄旅行でした。
 最後までお読み頂きまして有難う御座いました
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2017年07月01日

占いをどこまで信じますか?

 皆さん、こんにちは。
 皆さんは、占い結果をどこまで信じますか?
 占い自体を信じない人もいますが、占い師をやっていますから、もちろん信じています。自分のことも占いますし、その結果は自分なりのデータとして貯まっていきます。
 四月の沖縄旅行の前には、断易で旅行運を占いました。その結果で一つ気になることが。
 「ケガに注意!」
 大石林山を散策するので、ハブにでも噛まれるのか?それともレンタカーで事故?
 ですが、このような結果が出ると、ケガが気になりつつ、当たるかどうか興味津々なのです。
 難を事前に避ける方法もあるのですが、あえてそれはやらず、とりあえず細心の注意を払って出発することに。楽しい旅行中はそんなこともすっかり忘れ、旅を満喫していました。
 ですが、三日目に、友人が岩で足を強打し、ケガで出血してしまったのです。幸い大事に至らず、痛みも引きずらず、絆創膏で済む程度で不幸中の幸い。
 そういえば「ケガ」と出たのは、卦の中で「相手」を表すところ。相手とは、訪れる場所や同行者を表します。旅先でケガ、と読んでいましたが、同行者がケガ、と読むのが正しかったようです。
 うーむ、やっぱり当たる。
 友人の足のケガをとても心配するのとは裏腹に、易が当たる納得感と、マゾ的な快感があるのは、占い師だからでしょうか。
 このように、私自身が自分を占うこともあります。ですが、占いの結果に振り回されたり、占いに依存してしまうと本末転倒。
 人生の一部を判断する手段ですから、そこだけを切り取ってジャッジすることが目的ではありません。使い方を間違えると、可能性を狭めたりもするものです。
 ところで、旅行全体運は「とてもアクティブで楽しい」と出ていました。これも卦の表すとおりで、想定外のことがたくさん起こり、とても楽しい旅となりました。

(40代女性)
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